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「見えざる手」は、手放しの自由ではなかった

連載「資本主義を知り、負けない会社をつくる ― 生き残るための経営理論」第1回(全50回)

「市場に任せておけば、うまくいく。それがアダム・スミスの教えでしょう」

ある会合で、勢いのある若い社長からそう言われたことがあります。値決めも採用も取引先との関係も、競争に任せれば自然と最適になる。だから余計なことは考えなくていい、と。

私は大学で経済学を学び、いまは外部のパートナーとして中小企業の中に入っています。その立場から言うと、この理解は半分だけ当たっていて、半分は大きく外れています。そして、外れている半分のほうにこそ、会社をつぶさないための知恵が詰まっています。

この連載では、資本主義をつくってきた思想家たちの考えを一人ずつ取り上げ、中小企業の経営にどう生かせるかを考えていきます。第1回は、やはりこの人から始めます。

この人は何を言ったか

アダム・スミスは18世紀のスコットランドの人で、グラスゴー大学で道徳哲学を教えていました。経済学者である前に、「人はどう生きるべきか」を考える倫理の先生だったのです。

彼の代表作は二つあります。1759年の『道徳感情論』と、1776年の『国富論』です。多くの人が知っているのは後者ですが、スミス自身は前者を生涯にわたって何度も改訂しており、大切にしていたことがうかがえます。

『道徳感情論』の出発点は「共感」です。人は他人の喜びや痛みを、自分のことのように想像できる。そして、自分の行いを心の中にいる「公平な観察者」の目で見つめ直す。利害関係のない第三者が見て、それは筋が通っているか。この内なる目が、人の行いを律していると考えました。

「見えざる手」という言葉は、実は『国富論』の中に一度出てくるだけです。人が自分の利益を求めて働くと、意図していなかったのに社会全体の利益が増えることがある。その働きを、見えない手に導かれるようだと表現したのです。

つまりスミスの頭の中では、自由な商いは、共感と公平な観察者に支えられた人間が行うものでした。

よくある誤解

一番大きな誤解は、「見えざる手」を「好き勝手にやってよい」という許可証として読むことです。スミスは『国富論』の中で、商人同士が集まると値段をつり上げる相談になりやすいと警戒し、独占や特権をはっきり批判しています。手放しで商人を信じていたわけではありません。

もう一つの誤解は、『道徳感情論』と『国富論』が矛盾している、という見方です。前者は思いやりの本、後者は利己心の本、というわけです。しかし、二つは一人の人間の両面を描いたものとして読むほうが自然です。自分の得を考えることと、恥ずかしくない振る舞いをすることは、同じ人の中で同時に働いています。

さらに言えば、スミスの時代の「市場」は、いまの株式市場のような巨大で顔の見えない場所ではありませんでした。彼が思い描いていたのは、職人や小さな商人が、互いの評判を知りながら商う世界です。規模を大きくすることそのものを目的にした経営を、スミスの名前で正当化するのは、少し無理があると私は考えています。

中小企業への示唆

中小企業にとって、市場とは顔の見える世界です。取引先、地域、社員の家庭。誰がどんな商いをしているか、案外みんな知っています。だからこそ、「公平な観察者」の目を経営に持ち込むことが、そのまま会社の守りになります。

  • 値上げや取引条件の変更をするとき、「事情を知らない第三者が聞いて納得できるか」を一度だけ自問する
  • 社内の評価や配置の判断を、当事者ではない人に説明できる言葉で書いておく
  • 一時的に得をするが、地域で噂になったら恥ずかしい取引は、最初から選ばない

私自身、自分の会社で成長を急いだ時期には、この内なる目が曇っていました。数字を追うあまり、相手の顔が見えなくなる。その結果、会社を何度もクラッシュさせました。自由に商うことと、自分を律することは、セットでなければ長続きしません。

逆に、公平な観察者の目を持っている会社は、派手さはなくても崩れにくい。取引先が困ったときに無理な条件を押しつけない会社は、自分が困ったときにも助けてもらえます。これは理想論ではなく、地域で長く続いている会社を見てきた私の実感です。

社長への問い

  • あなたの会社の判断を、利害のない第三者が見たら、何と言うでしょうか
  • 「市場がそうだから」という言葉で、考えるのをやめている場面はありませんか
  • 社員が「うちの社長なら、こうするはずだ」と思える判断の軸を、言葉にしていますか

見えざる手が働くのは、見える心を持った人が商うときです。

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